やりすぎ都市伝説「リアルサイボーグ日本兵」舩坂弘の最強伝説とは?

3月26日に放送された人気番組『ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 2021春SP』で紹介された『米軍が恐れた“リアルサイボーグ”日本兵 』こと舩坂弘。伝説として語り継がれる彼の生き様を調べてみた。

舩坂弘のWikipedia

  • 誕生日:1920年10月30日
  • 出身地:栃木県上都賀郡西方村
  • 死没:2006年2月11日(85歳没)
  • 軍歴:1941年〜1944年大日本帝国陸軍所属
  • 最終階級:陸軍軍曹
  • 剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟。除隊後は実業家や慰霊協会理事などで活躍
    Wikipediaより

栃木県上都賀郡西方村という片田舎に育った舩坂弘は少年は、後の『伝説のサイボーグ』『最強の日本兵』にふさわしく、ガキ大将であった。しかし自らの意志で早稲田中学講義録(今で言う通信教育)で勉強をするほど勉強熱心であったという。

1941年3月、舩坂弘は20歳で入軍、満州へ渡った。

剣道と銃剣術は入隊当時から有段者であり、特に銃剣術に秀でていた。その腕は上層部からも高く評価され「射撃徽章と銃剣術徽章の2つを同時に授けられたのは後にも先にも舩坂だけだ」と言われた。中隊では一番の模範兵として、部下からの人望も篤かった。

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舩坂弘サイボーグ伝説

1944年、舩坂が23歳の時、彼はアンガウルの戦いで覚醒する。アンガウル島とはパラオ諸島の一部で、日本列島とオーストラリア大陸の間、フィリピンの近くに位置する。

なんと彼はこの戦いで米兵100人以上を死傷させる。その時舩坂弘が使用した武器は擲弾筒(てきだんとう)と臼砲(きゅうほう)である。擲弾筒とは今で言うグレネードランチャー、臼砲とはあのベタな大砲のことである。

戦いの中で舩坂弘は左太ももに重症を追い、米軍の銃火の中に数時間放置される。やっと駆け付けた軍医は舩坂弘の傷をひと目で回復不能と判断し、自決用の手榴弾を渡してその場から立ち去ったという。

常人であればここで自決を選択するものだが、舩坂弘は止血のために日章旗で足をしばり、夜通し這いつくばって味方陣地へ生還した。そしてさらに驚くべきことに、翌日には足を引きずって歩けるまでに回復したという。

その後も舩坂弘は戦いの中で何度も瀕死になるが、その度に彼は数日で周囲が驚くほどの回復を見せた。これについて後に舩坂弘は「生まれつき傷が治りやすい体質であったことに助けられたようだ」と語っている。正にサイボーグだ。

接近戦にもめっぽう強い舩坂弘は、以下のような伝説を残している。

  • 拳銃の3連射で米兵を倒す
  • 奪い取った短機関銃(サブマシンガン)で米兵2人を一度に斃す
  • 左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺し、短機関銃を手にしていたもう1人に投げて顎部に突き刺す

戦場で鬼神と化す舩坂弘の姿を見た部隊員たちは彼を「不死身の分隊長」と呼んだ。

しかしその後、舩坂弘は腹部に敵の銃弾をくらう。弾は貫通しないまま腹部に残り、絶体絶命となる。戦地には食料も水も尽き、味方陣地の洞窟には自決のための手榴弾を求めるうめき声で地獄のような有様だったという。舩坂弘は腹の傷から蛆がわくのを見るにつれ、「蛆に食われて死ぬくらいなら」と手榴弾のピンを抜いた。

しかし、手榴弾は不発。

舩坂弘は茫然とし、「まだ死なせてもらえないのか」という深い絶望を味わったという。

一度は死を覚悟した舩坂弘。死ぬ前に一矢報いるため、米軍司令部での肉弾自爆を決意する。手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って数夜にわたって這い続けたのだ。

瀕死の状態で戦地を這うこと4日。舩坂は米軍指揮所テント群に到着した。

この時舩坂は既に以下の傷を追っている。

  • 左大腿部裂傷
  • 左上膊部貫通銃創2箇所
  • 頭部打撲傷
  • 左腹部盲貫銃創
  • 右肩捻挫
  • 右足首脱臼

おまけに体中に火傷を負い、砲弾の破片が食い込み、連夜で戦地を這ったため、服はボロボロになっていた。

舩坂弘は敵軍の上層部と思われるジープが司令部に集まったことを確認すると、手榴弾のピンを抜いた状態で右手に握りしめ、左手に拳銃を持ち、全力を絞り出して突進した。手榴弾の信管(起爆スイッチ)を叩こうとした瞬間、左頸部を撃たれ気絶。米軍軍医には戦死と判断されるが、野戦病院に運ばれた。

米軍軍医は手榴弾と拳銃を握り締めたままの指を一本ずつ解きながら「これがハラキリだ。日本のサムライだけができる勇敢な死に方だ」と群がる米軍兵に向かって語ったという。

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舩坂弘とクレンショーの関係

戦死と判断されたほどの瀕死の重傷を負いながら再び奇跡的な復活を果たした舩坂弘。彼はそこから米軍の捕虜になるのだが、幾度となく脱走や米軍設備の爆破を企て失敗している。

舩坂弘の見張り役を任されたのが、通訳のクレンショー伍長である。クレンショーは「人を殺したくなくて通訳になった」というほどに、慈悲深いクリスチャンの男であった。

クレンショーは、脱走に自爆、破壊未遂を繰り返す舩坂弘を幾度となく阻止した「恩人」であった。

舩坂弘の本屋がなんと〇〇に?

終戦後、舩坂弘は「大盛堂書店」を開業。この本屋、なんと今でも渋谷のセンター街入り口に存在するというから驚きだ。不死身のサイボーグは商才まであったのだ。

舩坂弘はそれから、かつての恩人であるクレンショーを探すため、米軍関係者へ幾度となく手紙を送ったという。

そして20年以上経って、舩坂弘とクレンショーは羽田空港で再開を果たした。

クレンショーはその後貿易会社を開業し、社名を「ダイセイドー・インターナショナル」とした。舩坂の書店「大盛堂」からとったのだ。

開業の挨拶状にはこう記されていたという。

「当社は戦争中敵同士だった二人の兵隊の間に生まれた、奇しき友情がもとになって発足した」

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舩坂弘の身長は?

ネット上に舩坂弘の身長を示す文献は見当たらなかった。

しかしクレンショーが身長190㎝という情報から、下の写真をもとに身長を推測すると身長差は10㎝ほどだろうか?

舩坂弘の身長は180㎝前後と推測できる。

 

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